線香花火症候群
夕食を終えて自室に向かおうとした午後7時30分。
手元の携帯に1通のメールが届いた。
『今からそっち行っても良い?』
送信者の意図がわからないが取り敢えず許可のメールを送る。
彼の顔が見られるなら悪くないと思った。
その直後。
ピンポーン。
……玄関のチャイムが高らかに響く。
何なんだ全く。
俺は上りきった階段を溜息とともにおり始めた。
「お前の家はそんなに近かったか、不二」
踊り場で足を止めたところで下にいる客人――不二に問いかける。
それに気付いた彼はクスッと笑って答えた。
「馬鹿だなぁ、君の家の前でメールを入れたんだよ。こんばんは、手塚」
アポ取りって知ってるか?と思わず突っ込んだが意味はない。
どうせ俺が断っても来たんだろう。
「それより手塚、縁側行こ」
そんな俺の思考を美しい程に無視して少し先を歩いた彼は
勝手知ったる何とやらで庭に面した縁側へと足を踏み入れた。
俺も後に続き丁度月の光が当たる所で腰を下ろす。
すると不二は静かに隣に座り――自分の頭を俺の膝の上へ落とした。
「おば様にコンビニで買って来たかき氷渡しておいたから」
その体勢のまま俺の顔を見ることなく呟いた彼。
「何かあったのか」
俺の問にも微動だにしない。
ったく、これだから世話が焼けると言うんだ。
「普通逆じゃないのか」
俺のわざとらしい話題の逸らし方に不二の方がクスッと笑う。
「良いの、良いの。それともやって欲しかった?」
顔を見なくとも微笑んでいるくらいは解る。
でもそれだけではなさそうだ。
俺は慎重に彼の髪に指を差入れながら問を続けた。
「やって欲しいと言ったら変わってくれるのか?」
「ヤだ」
「だったら聞くな。期待はしていなかったが俺の中で何かが崩れる音がした」
「何ソレ」
辛抱強く待った甲斐があったのか不二は参りました、と転がって俺の顔を視界に入れる。
そして寝ころんだまま俺の顔に手を伸ばしスッと眼鏡を掠め取った。
「コラ、返せ」
急にぼやけた視界の中何となく眼鏡を追って手を伸ばす。
しかし……。
「どうした」
「ん?恋人繋ぎを体験してみた」
俺は眼鏡に辿り着く前に絡みついた不二の手をゆっくりと握った。
今、聞かなければ多分答えは得られない。
「何があった」
彼の瞳には動揺に近い戸惑いの色と淋しさが宿っていた。
視界の悪い瞳は逸らさずに彼の手は離さずに。
俺は静かに彼の返答を待つ。
「……君は僕の扱いが上手くなったね」
「待つのは嫌いじゃない。待たせる相手がお前なら尚更だ」
俺の言葉に少し安心したように微笑んだ不二はゆっくりと告げた。
「依存症、かな」
その声は俺の中にダイレクトに響く。
「夏の練習が終わって、君に会わなくなって。
メールとか電話とか色々してたのに顔が見たくなった。
毎日寝ても覚めてもそんな事ばかり思うから会いに来ちゃったよ」
俺は彼の言葉にスッと目を細める。
こんな事を言われて、嬉しくないわけがない。
不二は更に続けた。
「正直困ってるんだ。君に会う度に鼓動は早まるし、体は熱くなる。
なのに会わなければ禁断症状。矛盾してるよ」
「なら側にいればいい」
声は少し甘めに、視線は穏やかに。
俺は不二にそう告げる。
「お前がいると落ち着く。側にいてくれ」
「っ!」
不二の頬が紅く染まった。
彼は眉を寄せて俺に迫る。
「不意打ち禁止!ったく黙ってればイイ男なのに何で言うに事欠いてそれかな?」
お前こそ何だその物言いは。
俺は喉まででかかったその言葉を後々の彼の機嫌を考えて飲み込んだ。
しかしこのままでは終われない。
「ほぉ、黙っていればいい男か」
あからさまにギクッとしたのがわかる。
俺は半ば勝利を確信しながら不二に手を伸ばした。
「黙っていれば良いんだな」
先が読めたのか慌てて俺の胸に手を付く不二。
しかしそれでも距離はとれず――。
「タンマ!ストップ!休憩!」
「……本当に何なんだお前は」
あれだけ言っておきながらこの期に及んでタイムを突きつけるとは。
俺は溜息をついて不二を見る。
彼は起きあがると唐突に告げた。
「花火を買ってきたんだ。水ある?」
「……花火?水なら用意できるが」
「ならして。線香花火、風情があるでしょ」
俺は立ち上がって不二の言いつけ通りにバケツに入った水を持ってくる。
彼はコンビニの袋から花火を取り出した。
「ほら、火」
俺が投げたライターを片手で受け止めると不二はその中の1本に火を付ける。
それはやがて火花を出し、小さな音とともに終わりを告げた。
「あ、終わっちゃった。……もう君無しじゃ生きていけないのかな」
僅かな炎と一緒に落とされた呟きに俺は迷う。
「依存症、か」
「ソウダネ。まるでこの線香花火のように、君という炎がなければもう脈打つ事もままならないんだ」
ジッと音を立てて炎を消された花火は無表情に佇む。
「わかってるんだ、それがどんなに危険な事なのか。
君の隣に居続ける事がどんなに恐ろしい事なのか。
僕は君の可能性を潰したくない、
たかが線香花火の為に火を付けようとしたら炎が消えてしまうなんて」
気が付けば俺の手は彼の唇を塞いでいた。
「ちょっと何……」
「たかが線香花火程の存在であるならば間違いなく俺はお前を切り捨てる。
言っておくがそこまで甘い人間じゃない」
不二がここまで考えているとは思わなかった。
でも、それを言うなら俺は。
「ただしお前を切り捨てる時は、全てを捨てる時だ」
最後の最後まで手放すつもりはない。
彼がそれを望むのなら尚のこと。
不二は俺の言葉に困ったように微笑む。
少しの照れも含んだ俺の好きな笑い方で。
「参ったな、そこまで言うか」
「何だその失礼な物言いは」
人が一世一代の大告白をした後の感想がそれか。
俺は片手に顎を乗せて横目でジッと不二を見た。
そんな俺に不二はクックッと笑うと囁く。
「知らなかったんだ、そこまで僕の事を考えてくれてたなんて」
「お前は俺を何だと思っているんだ」
「テニス馬鹿」
期待した俺が馬鹿だった。
でもここで引いては名が廃る。
「俺だってお前と一緒にいていつまで理性が持つかわからないぞ」
「さり気ない問題発言を有難う」
でもね、と彼は続けた。
「必要とされてるって思っても良いのかな」
「当たり前だ」
「……そっか。嬉しい」
不二が俺の顔を見上げて言う。
俺はゆっくりと自分の手を彼の頬に伸ばした。
「どうするんだ。仮にもスポーツ選手が2人揃って不整脈なんて」
心なしか声は甘く、視線は穏やかに。
「じゃぁどうする?一緒にいるのやめる?」
少し挑発的な笑みに口づけを落として。
「いや、それは断る」
既に離れるのには当たり前すぎた存在。
「禁断症状が出ても困るからな」 それはまるで発作のように――