白い影















「楓、桐松の間に」
引き戸の襖が開き、しわがれ声がぼそりと聞こえた。

「はい、只今参ります」

遊女達の通称「待ち場」である控えの間。
通称や、元の名称そのままで、意味は遊女が仕事を待つ場だ。
十、いや二十以上の遊女が、この店、遊郭で働いている。
色町全体で考えれば何百という女。
母さまや父さまから頂いた身体を、淫らに汚すしか出来ない女達。
その一人が、私である。
「楓、いってらっしゃい」
「はい、姐さん」
何人もの姐さん、つまり先輩の遊女達に会釈し、部屋へ向かう。

この店のお得意様。時期藩主と噂される御方に今から抱かれるという。
嫌な気分だとか、特に何を考えるでもない。
ただ、自分も気持ちよければそれでいいし、更にお金まで頂ける。
天職じゃない、と何故か沈む自分を励ましながら廊下を歩く。
「・・・」
何故か最近、自分の身の上について考える事が多くなった。
果たして、このまま遊女を続けていてもいいのだろうか。
私だってひとりの女なわけだ。
つまりは、結納の儀をとり行ってみたいと考えたりもする。
自分が愛した旦那様だけに愛を誓いたいとも思ったりする。
そして、心から愛されたいとも思っている。
でも、所詮私には不可能な話だ。
「楓、参りました」

私が愛さなければいけないのは、ひと時の御方様ばかり。
一時愛して、また次の一刻は別の御方を愛す。
そしてその御方たちは、決して私を愛したりはしない。
一時の快楽を共にできるのだから、いいと言う声もある。
大体遊郭に御出でになるのは、身分の高い御方。
既に愛する御方がいても、皆様いらっしゃるのは何故か。

この刻の愛すべき御方が、私に触れる。
赤い襦袢がするりと落ち、真白な世界に堕ちていく。

でも、私はこの道を歩いているのだ。
もう、引き返せないんだと自分に強迫観念めいた物を突きつける。
「愛しています」

嘘だと分かっていても、貴方様達は私を愛して下さるから。



「楓、ではまた」
「はい、お待ちいたして居ります」
ああ、帰ってしまわれる。
許される事ならば、御縋りしてしまいたい。
しかし私にそれは許されない事なのだ。
畳に頭を押し付けるように礼をすると、涙が伝った。

もう、誰でもいい。
抱くのでなく・・・・・

そこまで思って、考えを吹き飛ばした。







「楓、次予約のお客あの御方なんだって?」
姐さんの一人が、待ち場で話し掛けて来られた。
その目には、羨望の眼差しと少しの嫉妬、そして好奇心。
「あの御方・・・?」
私には全く意味が分からず問い返すと、呆れたような声が帰って来た。
あの御方で通じる御方がまわりには大勢いらっしゃる事もあり。
「あの御方って言ったらお一人しかいらっしゃらないわよ」
「あ、ええ・・確かもういらっしゃると」
「楓、支度しなさい」
ひょっこりと、経営者の男が現れ、告げた。
ああ、いらっしゃったのか。
「はい。あ、姐さん・・」
「言っておいで」
「はい」
姐さんは優しく微笑むと、私を部屋へ向かわせた。




今からお相手させていただく御方は、この色町の遊女でなくとも
待ち中の女が惚れてしまいそうな程の殿方だ。

姐さんでなくとも、興味を持つのは仕方が無いこと。

その御方は、必ず決まった日の決まった時刻に御出でなさる。
それは絶対不変の「予約」となっているのだ。

詳しいことは存じ上げないが、その御方は有力者だとか。
これも姐さんたちの噂話だから当てにはならないけれど。

「楓、次あの御方ですって?」
「ええ」
「良いわね、あたしも今度是非・・」
「ああん、アタシが先よぉ・・・」
「し、失礼します・・」
廊下ですれ違ったのは、情事後の姐さん方。
皺の寄った襦袢が生々しく映る。
二人の顔がまだ情事の尾を引いているのを見て、礼だけして早々に立ち去る。










「・・・・・・っ」
深い、深い闇に飲み込まれてしまうような感覚。
強すぎる快楽が押し寄せ、そして頭が真っ白になる。

私は、この御方に恋などしては居ないが、愛してしまう瞬間はある。

情事の後、ぎゅうと抱きしめてくれる瞬間・・・・
その、心地よい感覚にカラダ全体が浸り、脳まで温かくなる。
そしてもう一度、御方が私に手を伸ばした。


その瞬間。




「失礼します」
一気に開けられた障子が、スパンと音を立てて開いた。
「!!」
驚いて、見るとそこには昔から居る男の子。
名前までは存じ上げないが、会計方をしている子だ。
慌てて、襦袢を引っ張り前だけを隠すと、
御方は私の上から退かれて、肌蹴ていた着物をなおされた。
「何だ」
「もう、お時間となりました」
「・・・」
御方は直ぐに立ち上がった。
「楓、また」
「はい、お待ちいたして居ります」
同じ台詞を吐いて、そして同じように礼をする。

ああ、行ってしまうのですか。


所詮は、姫君などではない身の私。

名前も知らぬ殿方の後姿に、想いを馳せ、まだ俯いたまま。




**************
いやはや、表現を用いないのは難しいですな。
中々上手く行きません。はぁぁ。

ちなみに、タイトルはー一番最後の文とリンクします。
影はあるはずなのに、見えない。
普通影って黒いもんね。
居るはずなのに、誰も居ない、また・・・みたいなねぇー。

お次は汐乃嬢で御座います。