夢を見た。
貴女と僕が、手を繋いで町を歩いている夢を。
叶わぬと知りながら
それでも
夢を見続けるのは……

何 故




紅い華

女が逃げる。
男が下卑た顔で其れを追う。
当然女の足では逃げ切る事は出来るはずがない。
男が女の肩を掴む。
暗い夜道に、女の悲鳴が響きわたった。
ある意味既に日常と化している此の光景。
皆のように知らぬ振りをすれば良いのだと心では判りきっている筈なのに。
「なんだテメェは?」
機嫌の悪そうな表情の男の顔が、すぐ側に見える。
理由は簡単。自分がその手を掴んでいるから。
女の方は縋るような目つきでこちらを見てくる。
その首元に、紅い鬱血の痕が見えた。
多分、遊女なのだろう。
きっと男は客で、帰ろうとした女を追ってきたのだろう。
馬鹿馬鹿しい。
男にでも女にでもなく、その手を放せない自分を罵った。
「餓鬼が邪魔すんじゃねぇよッ!!」
何も言わぬ自分に痺れを切らしたのか、男は空いている方の手で掴みかかってきた。
それを軽く避け、男の腕を強く握り、後ろに捻る。
まだ餓鬼だと油断した所為か、男は簡単に痛みに顔を歪めた。
「テメェ何しやがる!?」
男が歯を剥いて怒鳴る。本格的に怒ってきたのだ。
「いやぁ、すみません。」
そう言って僕は手を放した。ついでに営業用の笑顔を顔に貼り付けて。
「この女性、知り合いでして。これで見過して頂けませんか?」
そう言って男の手の上に銭を乗せる。
多くもないが、少なくもない額だ。この場を治めるには、丁度いい位の。
案の定、男は舌打ちをしながら立ち去った。
振り向けば、とうに女は居なくなっていた。
恩知らずとは、思わない。むしろ、居ない方が都合が良い。
別に、彼女の為にやった訳では無かったのだから。
本当に助けたいのは、他の女性なのだから。


白い障子戸の向こうから聞こえてくる嬌声に、思わず眉をしかめる。
廊下と個々の部屋を遮るのが薄い戸と壁だけなのだから、仕方ないと言えばそれまでなのだが、ここまでだだ漏れだと正直気が滅入って来る。
「譜遊、八雲の間に時間伝えに行って来い。」
自分は会計方なのにあの爺めと、そう命令してきた上司に毒づく。
この遊郭に売られて来たのが、六年前。
以来、雑務をこなしながらずっとここで働いてきた。
さすがにもうほとんど慣れた。響きわたる喘ぎ声にも、顔を赤らめるようなことももうない。
ただ、普段居る別館から、こちらに来るのに気が進まぬ理由は他にあった。
目的の八雲の間に着き、足を止めた。
無意識に耳をやれば、くぐもった嬌声と、荒い息遣いが聞こえてくる。
前言撤回。
少々掠れているその声に、早くも顔が熱くなるのが自分でも判る。
早鐘のように打つ鼓動をなんとか抑えようと、息を深く吸い込む。
この声の主の姿が、脳裏をちらついて離れない。
彼女が此処に来たのはいつだったか。
最初の彼女の印象は、純粋に『綺麗』だった。
この遊郭で育った自分の目から見ても、彼女は汚れていなかった。
そんな彼女に一目惚れしたなど、言えるはずは無い。
今では彼女は此処で1、2を争うほどになった。
確か、今来ている客も常連の1人だ。
数人の男の顔が浮かんだが、意味が無いのですぐに消す。
でも、浮かんできた嫉妬心までは、消せずに黒い靄のような形で残った。
声が一際大きく鳴き、静寂が訪れた。
一呼吸し、戸に手をかけ一息に開ける。
「失礼します――」
次第に大きくなるこの靄に、気付かぬ振りをしたまま。

次は椎葉様ナリ〜vv