深い深いそこに見えるのは
果たして

殺人者の悲しみか
殺人鬼の快楽か

人を愛する事を知ったものの過ちか
人を信じきれなかったものの悔やみか


全ては深い底に

はたして底が見つかるのかさえ分からぬ
泥で何も見える、ヒトノココロと謂われる沼の中に












第五話:午前

【人殺めと嘘吐き】




















「御早う御座います」
「あっ、綾辻さ・・」
「御早う」
 綾辻茜が登校したとあって、クラスは沸き立った。
それと同時に、薄ら笑いを浮かべた男が茜に向かって近づいてくる。
笑顔。しかしどこか裏が存在するものだった。
「よぉ、お前が綾辻茜だな?」
 茜は分かっていた。
質問の意味も、質問の意図も。
そして男が誰で、どの目的で現れたのも理解した。しかし微笑んだ。

「そうですが・・・」

茜はわざと笑顔を作った。見え見えといえる位作った。
足をふらつかせて、体全体を震えさせた。
 何もかも、周り全てが仲間だった。味方だった。
皆、茜をまるで神、女神のように称える。
そして心から心配する。
「お前、新島幸平の死体の第一発見者なんだろ?
親友日比野あゆみを精神病に追い込んだ張本人であり・・」
 男はそこまで言ってから気づく。
綾辻茜が泣いている。手で目許、いや、顔中を覆い隠すように泣いている。
肩が震え、嗚咽を堪え・・・完璧に男は悪者だ。
「ふぅっう・・・」
 遂に嗚咽が漏れ、男は面倒臭そうに頭を掻いた。
やっちまったや・・こういうタイプは初めてじゃねぇけど・・・
知力は高い、なかなかの相手であり難攻不落。俺と似ている。
演技力も中々高い。まぁ、俺には負けるけど?
 そんなことをのんびりと考える暇はなかった。けれど男は考えていた。
男は考え込むのが好きだ。そして結論が出ないことを望む。
その点で言えば、この少女は期待外でもあり、また面白くもあった。
「ふっ・・・」

「綾辻さん、こっち・・・」
 養護教諭の藤村風子だ。背中をそっと押して連れて行こうとする。
刹那、茜の体が崩れ落ちた。演技過剰、そう男は思った。
茜の表情は固い。何か信じられないものを見たように顔が固まっている。
「あ、っあぁあ・・・ああ・・ぁ・・・・」
 嗚咽が再び漏れる。先ほどのように綺麗な嗚咽、ではなく獣のような。
まるで本能をさらけ出すような嗚咽。心のままに出しているようなそれ。
男は目を見開く。まさかここまでやるとは思っていなかった、男の顔がそう物語る。
直ぐに彼女は風子によって安定剤を打たれ、混沌とした檻へとぶち込まれた。








ガチャンと牢が閉まった。
赤髪の男は何かを看守に話しかけるが、悉く無視される。

「オーィ、俺は間違いだっての・・」
 男は自分の不幸な境遇を顧みていた。
学校で女と会って泣かれて、保健医が注射打って、落ち着いて。
 操作の可能性もあると思ったら通報されて、このイカレタ女と同室で同質扱い。
どうも俺はあの狂った快楽殺人犯のお仲間扱いらしい。教頭の貝塚も言葉を失っていた。
保険医がどっかに電話を掛けていた。あれは間違いなく警察用のラインだ。
でもなんでいち学校の意見をそんなにも聞くのだろうか・・。
考えれば考えるほど煮詰まってきた。そこで男は思考というものに酔い耽った。

「貴方は、本当に異止官なの?」
「あァ?俺を揶揄してんのか小娘」
 男は腑抜けた面して答えた。
相当やる気がおきないらしく、その赤髪を手で弄んでいる。
「からかうつもりは毛頭無いわ。本物なの?ただの・・純感染者じゃないの?」
「純感染者ァ?馬鹿じゃねぇの、俺はお前に興味なんざ無ェ」
 男の言う事は半分嘘だった。純感染者ではないのは真実。茜に興味が無いというのは偽嘘。
ちなみに純感染者というのは、恋愛殺人症候群感染者と似て非なるもの。
殺人を実際に犯すことは無いが、愛しいものを壊したいという衝動に駆られるもの。
殆どのものが自分を臆病者だと自負している。そして、殺人にたいする憧れを持つ。
そんなのは紛い物だ。人命は尊いもの。そう考えれば考えるほど、内なる憧れは高まる。
簡単に言えば、禁忌を犯したくなる子供だ。
人間誰しも、いけないと言われたらやりたくなる人間は多いだろう。
その感情が果てしなく強いのだ。それが純粋に感染したもの、純感染者だ。
 そして彼らの八割は自害し、残りの二割は実際の不純感染者へと群がる。
「頭狂った連中と一緒にすんな。俺はマトモ、お前はイカレテんの。分かった?」
「・・・分かってるわ」
 茜は静かに答えると、再び格子窓から外を見遣った。
暗雲立ち込めたる何たらだ。まだ昼だというのに暗いのはここが地下だからだ。
異止官である男の時間感覚がなければ、正確な時間は勿論、昼夜さえ窺え知れない。



「なァ、お前敵多いの?」
 暫く時間が経っただろうか。いや、そう感じただけだ。
男の常に正確な脳内時計では、まだ三分も経っていなかった。
カップラーメンも出来ねぇや、と思ってから寒いので却下し、少女に向き直った。
 茜は答えない。
茜の見ている格子窓の外にはコンクリートの壁しかない。ドアから見て一番奥だ。
茜の反対側、看守が時折通りかかるドアにへばりつくように立っているのは男。
微かにドアから差し込む光が茜の顔を映し出す。
 容姿端麗とでも言ったらいいのだろうか。正直綺麗だと思う。薔薇のようだ。
とんでもない棘や毒を隠し持って、しかもそれを愛だとか言いやがる。
そんな感覚でしか量れないモノを殺人の動機?ただの快楽殺人者じゃねーか。

男は再び聞いた。
「まァ、俺は俺でイカレてるけどなァ・・で、敵は?」
「多いんじゃないかしら。私綺麗だし、頭も良いし、運動も出来て完璧だから」
「お前そんな人間だったか?」
「今更・・イカレてるんでしょう?」
 今回の事で様々な憶測が飛び交っている。
しかし茜はその微笑一つで全ての猜疑をどこかへ吹き飛ばしてしまうだろう。
完璧、女神、人知を超えた存在。まさに心の支配者だ。
彼女の言うことに、何も間違いはないのだと勘違いさせられるような微笑。
彼女が、彼女を巡る世界全ての創始者であり支配者なのは言うまでもないが、一番特質なのは影響力。
彼女の周りにいる人間全ての、彼ら自身の世界の中心部に、いつのまにか忍び込んでしまう。
そして全てになってしまうのだ。それが茜の本性。本質。
「私、何なのかしらね。生きている価値もないくせに。フフ」
「自己否定が強いのも症状の一つだ」
「治らないのでしょう?」
「だから俺に殺されるの」
「知ってるわ」

「ヘェ」
「何なら早く殺して、態々あんな物送って寄越さないでいいから」
「駄目、却下。俺の役目は、七日間を費やして死者への冒涜を犯したお前らを後悔させるため」
 これも嘘だった。
男は感染者ではないが、嘘吐きだ。
それっきり、二人の会話は無かった。
茜は相も変わらずコンクリを眺め、男は思考にとりつかれた。


一日目、病体が新島幸平殺害。
二日目、日比野あゆみ倒れる。
    本件担当者No-086cd4動き出す。
三日目、学校にて初面会。
    牢屋に捕まる・・・現在。


男は反芻していた。何かを見落としているようだった。
・・・・あれ?
「おい、病た・・お前、あんなものって何だよ」
 頭に残った。何も郵送なんてした覚えは無い。
「・・ふざけないで」
 茜は疲労困憊していた。誰の目にも見て取れるだろう。
しかし男は外見だけで判断をするということを嫌った。
なんたって、目の前の少女はとんでもない猛毒を持った薔薇なのだから。
「何が送られてきた?」
「小さな箱よ。死を貴女に、って書いてあって、中にはあと六日っていう厚紙が・・。
胸糞悪い夢みた後だったからとても感動したわ。何ていう素敵な贈り物だろう、ってね?」
「へェ・・・」

「何?やっぱり貴方が下さったの?」
「いや・・多分上司か、相棒だな」
全部嘘だった。ナチュラルで自然で残酷な、嘘。
再び男は考えに耽る。



一日目:新島幸平殺害。
二日目:日比野あゆみ倒れる。
    俺が動き出す。
    貝塚教頭と面会する。
    病体夢を見る。
三日目:俺と学校で出会う。
     病体倒れる。
     牢屋に捕まる。


    
    病体が接した人物は・・・・


新島幸平、日比野あゆみ、藤村風子、俺。

・・・・ここに長居するべきじゃねぇな。

男はそういうと開いたドアから遠慮なく光を差し込ませた。
茜が振り向くと手を握り、まるで構造を知るかのように疾風の如く走る。

「お前もつくづくと運の無い女だな」
「あら、そんなものとっくにないの。愛する事を知った瞬間からね」

茜は気づいていなかった。
いや、気づかない振りをしていたのかもしれない。

心が、血を欲し始めていた。
つまりは、心が何者かを捕えかけているということ。
心が歪んだ愛に囚われつつある・・・・目の前を走る、男に。



愛は狂気へと変わり、狂気の愛は生命をも堕とす。











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長らくお待たせしましてすみません。
お待ちどう様です。遂に第五話ですか。
ちなみに、題名に一日目とかついてますが、
実際の時を表しているわけではないです。
七日目の黄昏だか夕暮れだかで終わるつもりです。
全部で3×7=21話になるのかといえばそうでもないような・・(?
全ては紗恭の気分次第です。
でもエンディングは何となく決まっているので、お楽しみを。


亀更新ですんません;;


20051126