第一話:朝
【感染者】
私立修央院高学部二年一組特進組。
堅苦しい名前と相反して、室内は至って楽しげな雰囲気が漂っている。
その一角で、さらに注目を集めている綾辻茜は校内でも有名な女生徒。
その優美な仕草や整った目鼻立ち、そして彼女の姿を際立たせるような漆黒の髪、誰がどう見ても良いとしか言い様の無い性格。
ファンクラブと云われる物がない方がおかしいくらい、その少女は魅力的だった。
彼女は極一般的な少女だった。彼女の中に殺人願望が潜んでいたことを除けば。
茜に茶髪で背の高い男子生徒が近づく、新島幸平。
その後ろからひょっこりと現れたのは、茜の大の親友である日比野あゆみ。
彼女は美人ではないが、可愛い部類に入る小柄な少女だ。
「茜ちゃんっ!茜ちゃぁぁん!さっきの数学分かったぁ?教えてぇ!」
「日比野・・お前はしゃぎ過ぎ。いくらやっとの思いで、特進クラスに来れたからって・・。」
「ふん、何言ってんの。どうせ新島君はレンサツが怖いんでしょ?茜ちゃんとラブラブだもんね。どーすんの、モトカノとかだったら・・。」
「笑えない冗談よせよ。でも、またこの学校であったみたいだぜ、レンサツ。怖ぇよなぁ・・。最近は随分と撲滅されてきたってのに。」
レンサツ、とは恋愛殺人症候群感染者が起こす殺人事件のことであり、ここ最近の新たな凶悪殺人事件の種類である。
この犯罪の一番の問題点は、事件を引き起こした犯人に罪の意識が無いことと、いつ起きるか、前兆が無いこと。
更に悪いことに、この病気のメカニズムは何も解明されていない。
分かっていることと言えば、恋愛に対する憎悪が激しいほど、殺し方もより残酷なものになる。
この症状にかかった者は、快楽殺人者の一部として認定されることとなる。
「うん、怖い。でも幸平君、どこで犯人が聞いているかわからないよ。
何か手がかりを見つけても下手に口に出すと幸平君まで・・そんなことになったら、私、どうしたら・・・・。」
二人は愛し合い、真剣に付き合い、また恋愛を楽しんでいる。
勿論、親公認の仲なのはいうまでもない。お互いに親同士の親交もあり、円満な付き合いをしている。
『アイシテル』
彼女の言葉に嘘、偽りは全く無い。幸平を愛しているという感情は紛れも無く本物だ。
彼女にとって彼は【やっと見つけた、本当に私を愛してくれる人】なのだから。
「ホント、新島君と茜ちゃんはラブラブカップル〜って感じだよねぇ。羨ましい限り。」
「あっゆみちゃぁん!俺とでよかったらラブラブカップルになろうぜ?」
三人の会話に横槍を入れてきたのは阿賀笠。
幸平と同じサッカー部に所属している、どこからどう見ても阿保としか言い様のない男である。
ちなみに彼は二年五組普通科で、女子生徒を追い掛け回す日々を送っている。
「はん、あんたなんかお断りよ、笠。」
首を振る仕草をする時に、高い位置で二つに結んだ髪が揺れる。
またそれを結んでいるゴムについている、キャンディの形をしたプラスティックの飾りが音を立てた。
日比野あゆみを同学年なのに、年下感覚で認識しているものは少なくない。
現に、あだ名が「あゆみ」の他に「ちびっこ」「うさぎ」「小学生」「幼稚園児」とある。
彼女自身も、幼稚園児が使うような可愛らしいゴムやピンを使っているのを考えると、半ばそれを楽しんでいるようにも取れる。
しかし、それを可愛い子ぶりっこ、と取られずに男女問わず友好関係が広いのは、彼女の145cmという身長の為か。
それとも成熟しきっていない体の所為か、あるいは。
「ククク・・まった豪快にフられたな。かわいそうなリュウく・・ん・・クククッ。」
「ふふふっ、阿賀君も相変わらずね。」
そんな中、幸平や茜がこういう風に言われたり、からまれたりすることも少なくない。
サッカー部期待の新鋭の新島幸平と、校内でも知らぬ者は無い類まれなる美貌の持ち主の綾辻茜は、まさに全校生徒の理想的存在と言える。
夜の学校、特進クラスの冷たい床の上。
人がいる所為か、いつもは暖かく見える教室が冷たく感じるのは、闇で口元しか見えない彼女の冷笑が生み出した物だろうか。
「茜・・お前・・・が正平、とッ・・亜津子・・を・・・。」
「ん?なぁに・・ショウヘイとアツコ?貴方の元彼女とそれを奪った男でしょ?
幸平君、あなたを警察庁幹部の娘のあたしへ頼らせる為に殺したの。なかなか綺麗な死体になってくれたわ・・・。
それに貴方を愛したから。」
「・・・・。」
もう幸平君は話さない・・話せない。
「幸平君、愛してる。大好き。・・・幸平君、とっても素敵。」
少女の手にはナイフ。少年の左胸には赤い華が咲いている。
少女、茜のひざの上で息絶え絶えに言葉を紡ごうとする幸平は血みどろの手で茜の頬を触ろうとする。
「幸平君、あたしね、大好きなの。貴方が大好き。幸平君の事、本当に大好きなの。」
幸平の手が茜の頬に届く前に、幸平は息絶えた。
そんな幸平をいとおしげに見つめながら、茜は折りたたみ式携帯電話をブレザーの胸ポケットから取り出した。
バイブレーションに気づいたからだ。
〔着信 日比野あゆみ〕
茜は躊躇する暇も無く通話ボタンを押して、その冷たく乾いた唇をひと舐めした。
「あゆみ、どうしたの?うん、え、幸平君?一緒だよ。邪魔しちゃ悪い?そんな事無いって。」
茜のひざの上のまだ生暖かい遺体。数分前まで新島幸平だったモノはもうただの肉片、物体。
「幸平君の事は、本当に大好き。え、妬いちゃうって?やだぁ・・もう、変な事言わないで。」
ひざの上に石のような重さを放つ人間の首。その髪を細く、長い指先で弄んでいる茜。
いつもとかわらない声の調子に、通話相手のあゆみは今起こっていることを察することすらできない。
もし、今の惨状を見たものが居るのなら。その何とも表現しがたい妖艶さに、美しさに、そして異常なまでの光景に息をのむことだろう。
美しく殺す。それが恋愛殺人症候群感染者、綾辻茜のポリシーである。
「うん、じゃぁまた明日。学校でね。」
五分ほど話したところで茜は通話終了ボタンを押す。
「幸平君。また明日ね、だって・・あゆみが。」
物言わぬ死人に話しかける茜。
首を傾けた拍子に、肩にかけてあった彼女の黒真珠のような艶やかな黒髪が、幸平君の好きだった黒髪が、いとおしい彼の顔に垂れる。
茜は、慌てて紙の束を肩の後ろへ放り投げ、まだほんの少しだけ幼さの残った二年の男子高校生の頬を撫で、髪を掬う。
「幸平君御免なさい・・髪の毛、くすぐったかった?」
茜は屈み、彼女の魅惑的な赤い唇を死体へと付ける。
「本当に御免なさい・・最後の口付けがあゆみじゃなくて。」
「キャァアァアァァ!」
朝の静かな教室に、少女の叫び声があがる。
「あかねちゃん?如何したの。」
教室の床にへたり込んでいるのは、叫び声の音源である綾辻茜。
親友であり、一番の理解者であったはずのあゆみは即座に駆けつけ、未だに立とうとしない茜に近づいていく。
あゆみのいた自習室まで悲鳴が聞こえた、全て、この学院の静けさと構造のお蔭。
計算通り。
「あ、新島君ももう来てたの?部活のアサレン・・・新島君!?」
あ、あぁ・・と、呻き声の様な嗚咽を喉の奥から出しながら、茜の足はそこから離れるように足掻く。
茜の視線の先にある、椅子に座って俯いたクラスメイト、いや浮気相手の新島幸平へ話しかけるあゆみだが、返答が返ってこない。
様子が、おかしい。
「幸平・・・幸平!コウヘイ・・返事しなさいよぉ・・ぃやぁあぁぁ・・っ。」
教室の戸を後ろ手で閉め、足掻く茜と同じ位置で、同じ目線で幸平の方を見る、と。
そこには、既に息絶えた新島幸平の姿があった。
新島幸平が座っている席は、茜の親友であり、また幸平君の浮気相手だという日比野あゆみの席で。
机の中には、数え切れないほどの赤いカーネイションとカトレア、そしてホオズキに黄色いバラが詰め込まれていた。
・・・・・ドサッ。
「・・・・。」
「あゆみ?・・・あゆみってば。」
「・・・。」
揺すっても起きる気配は無い。
恐らくは、初めて見る死体と殺人現場の異様な空気に耐え切れずに、自ら意識を手放したのだろう。いわゆる、失神状態。
「・・・んふふふっ・・ふふふ・・ねぇ、幸平君。」
茜は静かに横たわる。あゆみの横で、髪を散らせて。倒れたように。
「もうすぐ、あゆみも貴方の元へ送ってあげるわ・・んふふ、あたしってば絶対地獄逝きよ。
貴方達と一緒だわ・・人の彼を寝取るなんて、しかもあなたまでその誘惑に負けるなんて。」
その後、茜はクラスメイト達が教室へ入って来るまで殺人現場の空気を味わい続けた。
「貴方はそうでなくても、
私は大好きよ。」
やっと出た、言葉の続きは彼への あいのことば だった。